ごきげんよう 鶴賀なほのです。
親が老いていくのを観るのは、
子どもとして
寂しく感じることも多いですよね。
そして私の場合は、
両親に経済的な心配のない
老後を過ごさせてあげたいと
思ってしまうのだけど、
それが叶うほど
社会的に成功していないことを
苦しく感じていました。
でも先日の帝王学の講座で、
小池先生と問答させていただき、
お金があるとかないというような
外側の条件によってではなく、
ただ、今、満たされていると
感じるチカラが
母にもあるはずだと
信じようと思いました。
あれから3日経ってもう一度、
自分を探求して
気づいたことがあります。
それは、
私自身が、親の老いを
受け入れられていなかった
ということです。
もっとより良い家に
住まわせてあげたい。
高額医療が必要なら
お金のことを算段せずに
ポンと出してあげたい。
私がそんな風に思うのは、
親にいつまでも
元気でいてほしいと思うから。
つまり
親の老いに抗おうとしているのは
私自身なのではと気づいたんです。
人は誰でも
死に向かって生きていて、
時々それが怖いと感じるのは、
歳を重ねるプロセスの中で
避けられないんじゃないかと
思います。
ほとんどのティーンエイジャーが
反抗期に突入するのと同じ
自然現象なのかもしれません。
いつまでも父は、
私が大好きだったスーツ姿や、
袴姿が似合う父ではいられないし、
母もヒールを履きこなし、
誰からも美しいと言われた
母のままではいられない。
それは頭でわかっているけれど、
心が追いついていなくて、
少しでも両親の老いを
食い止める力がほしいと
思っていたのかもしれません。
私自身がそこから脱却するには、
やっぱり、過去でも未来でもなく、
今この瞬間を観ることだし、
諸行無常であることを
もっと深く落とし込むことだと
気づきました。
娘として私ができることは、
まず両親の老いを受け入れること。
そして
今この瞬間を観ることや、
諸行無常であることを
母と探求する時間を持つこと
なのかもしれません。
社会的に成功するより
実は難しいことかもしれないけれど、
でも一方で、
今すぐできることでもあるから、
今度のお墓参りのときに、
母とゆっくり話してみようと
思います。
今日も、羽化できたかな♡